三嶺・剣山

剣山山頂にて

報告者   山口 博

次郎笈山頂

ルート 5/21 
―名頃P―三嶺登山口―三嶺避難小屋泊

5/22 
三嶺避難小屋―三嶺山頂―白髪避難小屋―平石避難小屋―次郎笈分岐-次郎笈-
峠―剣山―リフト乗り場―見の越

山行日  5月21日(土)~22日(日)  天候  雨
参加者    CL 山口、 SL 佐坂
男性 : 8名 梅澤、 片山、 金本、 北村、 中村、 西上
女性 : 6名 大谷、 岸田、 内匠、 西上、 徳田、 吉津
計   : 14名
 コースタイム  5月21日
新田辺(5:30)-淡路SA(7:40)-鳴門北(8:50)-美馬IC(9:10)-名頃登山口P(10:30/11:50)-三嶺登山口(12:30)-三嶺避難小屋(15:10)

5月22日
三嶺避難小屋(3:50)-三嶺山頂(4:20)-白髪小屋(朝食)(6:30/7:15)-平石小屋次郎笈(10:55)-剣山(14:20)-見ノ越(15:20/15:40)-一字・岩戸荘(入浴)(16:40/17:40)-新田辺(21:30)

三嶺から剱山へ縦走23キロ

四国剣山と三嶺は私が山友会に入会して始めての宿泊で登った山で、機会が有れば是非もう一度行って見たいと思っていましたが、大谷さんが三嶺~剱山縦走を企画して呉れました。

199853日~5日まで23日で中山さん他A19名初日に剣山山頂ヒュッテ2日目はバスで移動して三嶺に登り東祖谷青少年旅行村に泊まり翌日祖谷温泉で入浴して帰りました。

B班は鈴木さん平松さん植西さん志賀さん堀尾さんの5名は剣山から三嶺までテントで縦走しました。三嶺で登って来た堀尾さんのリュックを担がせて貰いましたが、良くこんな重いものを担いで縦走するな、と感心しました。その後は笠ガ岳のテント泊や槍から裏銀座の縦走などを経験して、毎月の例会のお陰で体力も何とか維持できて今回の縦走も出来ました。

大谷さんからCLを依頼されましたが、今回は下見にも行けず全て大谷さん任せでした。

以前は3泊で行ったのですが今回は避難小屋12日で縦走ですので可成厳しい計画ですが、皆さんその覚悟で参加して呉れましたので,難小屋もあり万一の場合も何とか成ると思っていました。一番の心配は怪我で歩けなく成った時ですが、全員無事に下山しました。

名頃の登山口には予定の12時前に到着しました。白髪避難小屋までは6時間で行けるので暗く成るまでには着けると思っていましたが、途中から雨が降り出し、三嶺避難小屋に1510分に着きましたが。このまま雨の中の三嶺を越えて白髪避難小屋までは無理と判断して、此処で泊まることにしました。三嶺小屋は広くて綺麗で,先客に西山ハイキングクラブの8名が居りましたが、片方を空けてもらいゆっくりと泊まることが出来ました。

食事が終わって6時に就寝、12時には目が覚め3時まで待って出発の準備をしました。

小雨が降っていてヘッドランプを着けて行動開始、三嶺の山頂はガスで何も見えない。

三嶺からの下りは岩場でロープを頼りに濡れているので慎重に下山、2時間半掛かって白髪避難小屋に着きました。有り難いことに小屋でゆっくり朝食を取る事が出来ました。

小屋が無ければ雨の中の食事は大変であったと思いました。

食事で元気回復、雨の中を剣山への縦走路はアップダウンの繰り返しで、白髪山はトラバースですが、三嶺(1,893m)から高の瀬(1,741m,次郎笈(1,929m),剣山(1,955m)4つの山を越えての山行です。昨日白髪避難小屋までの予定が今日になり2時間半のプラスです。

流石に雨の中の重い荷物を持っての縦走は厳しい。

B班と離れたので暫らく待っていると、Aさんがメガネを小屋で忘れたので、探しに行ったとの事,先頭からは後続が見えないので、この場合はB班の班長は先頭のCLに知らせるべきで有り、A班と離れたのは不味かったと思う。その後Aさんの体調が悪くなり、荷物を分担して持って、SL佐坂さんがサポートしてBさんが付いて3人で、次郎笈分岐からトラバースして下山しました。次郎笈の登りもきつくてややバテ気味での人も有り、休み休みヤット山頂に着いた。

剣山は前方ですが山頂はガスで見えませんでした。

次郎笈分岐まで下りまた剣山への最後の登りです。山頂は木道が続き頂上も木道の上です。       山頂では記念撮影をして時間も遅いので直ぐに下山しました。到着時間が3時間も遅くな成ったので1,000円を奮発してリフトで下山しました。

大谷さんが岩戸莊に「到着が5時ごろに成る」と電話を入れる。

泊まり客の準備が有るので食事は5時半までに済ませて欲しいとの事で、一宇までのくねくねの道を1時間で、旅館に440分に着きました。   

旅館の女将さんに「先に食事をして欲しい」と云われ、予約していた遅い昼食のバイキングを頂き、食事の後入浴して2日間の山行が無事に終わりました。

食事と入浴で1時間しか取れませんでしたが、帰りの時間が気になり1740分に一宇を出発しました。帰りは渋滞も無く高速も阪神高速から第2京阪を通り予定より早く、2130分に帰ってきました。10時間のハードな縦走でしだが無事に全員が下山が出来て良かったです。SLの佐坂さんAさんをサポートして頂き有難うございました。

                                感想文                        大谷典子
 

三嶺~剣山縦走

       18キロの道のり☆☆☆

 

「山口さんCLと佐坂さんSLが縦走計画書のチェックをしてくださるって。」と主人に申したら、「そりゃああたりまえだ。あんたの計画では誰だって不安になる。」といわれた。私は頼りになるCLとSLをお二人にお願いしたこと、実によかったと胸をなでおろした。山行2日間とも☂マークばっちりだったのに縦走を実行した。なんと言う無謀さよ。私は登山道を下向きに歩き、自問自答していた。「よかったの?悪かったの?」三嶺避難小屋泊まりを白髪に変更し、挙句は当日大雨で皆さんの体力消耗を考え、結局三嶺に泊まった。これはまあよかった事と自分でも納得。翌朝4時出発。前を歩いていた私は、後ろの男性が池にはまったことも気づかずにいた。ライトをつけて三嶺の頂上から鎖を伝って急降下。やれやれ一安心。きつい雨の中2時間30分も歩いてシャリばて寸前の方もいた。とにかく白髪の小屋を見つけるのに必死だった。靄のかなたに白い屋根を見つけた時はどんなに安心したか。ゆっくり朝食をとったら全員笑顔になった。最終チェックを忘れて小屋を出発したとたん、眼鏡を忘れた方がいた。あわてて取りにいかれた。私の失敗だね。

次の目標、高の瀬を目指して8時前白髪小屋を出発。草原の道は快適。時折ガスの切れ間に深く濃い紫色の三つ葉つつじがみえる。何かほっと温かい光が頬にふれると感じた瞬間、青空が広がり、お日様さえ輝きだした。皆で大感激。日焼け止を塗らなくっちゃあの声に、爆笑。右に切れた稜線のかなたに緑の山が鎮座していた。佐坂さんが地図とコンパスで石立山と見定めた。難易度ナンバー1の山だとか。薄暗い樹林帯の中、急に道が狭まり大きな岩の間をすりぬけるようにして急坂をくだった。ここが高の瀬と気付いたのはづうと通り過ぎてからだった。標識を完全に見落としていた。

丸石避難小屋は、覗くだけで通過。モミやブナの林立する薄暗い樹林帯を抜け笹原に出て進んだ先は行き止まり。自然に右に折れるようにして、剣山への道が続いていた。なだらかな山が立ちはだかり7時間ちかく歩いてきた足にはこたえた。途中後ろの男性が体調不良であえぎあえぎやっと小高い山を越えた。

 
 
 三嶺山頂を目指して


次郎笈はパスして御夫婦でリフト乗り場に向かわれた。佐坂さんがサポートして付いて降りてくださった。梅沢さんが、一番若いんだし担ぎますよとダブルリュックで歩いてくださった。先ほどまで、もっと足をのばしてと叱咤激励されていたのにすごい底力をみせてくださった。午後一時次郎笈頂上に立てた。標識のみの記念撮影だけで視界はなし。行動食もとらず剣山への最後の登り向かう。次郎笈からの登山道はゆるやかに蛇行し、うねって頂上に続く。広い広い笹原の中の一本の道は細いながら力強く天を目指して進んでいた。テレビドラマの坂の上の雲に出てくる場面だとか。どうりで見覚えのある感じがして、なつかしいながめ。しばし息をひそめ見入った。「この眺めが見られただけでも、来たかいがあった。」とつぶやく声。この言葉を聞きたかったんだ。

 


悩みも反省もすうと消えた瞬間だった。18キロの長い道のり、みなさんよく歩いてくださった。もう自分の立場も忘れて、剣山頂上をめざした。見の越へは、リフトでいっきに降りていただいた。3時50分全員下山しほっとした。


4時40分岩戸荘で昼食兼夕食のバイキング。ひたすら空腹を満たし、お風呂へ。夕食準備に入った時間の食事で、岩戸荘さんにはご迷惑をかけてしまった。

9時30分松井山手に帰着には驚いた。ずいぶん早く帰れたのは、中谷ドライバーさんの名運転のおかげでした。おせわになりました。やっとハラハラドキドキから解放されました。CLとSLの山口さん佐坂さんには本当にお世話になりました。頼りない私を良くサポートしてくださったおかげで、縦走ができたと思います。ありがとうございました。

 素晴らしい晴天の下、三嶺の美しい姿をお見せ出来たらとおもいます。そうしたらわたしの計画にも○がもらえるかもね。
 三嶺から剣山縦走
 梅澤宗平
 

インターネットで見つけた写真、剣山からみた次郎笈の姿がすばらしかった。僕には恐竜の背中の様に見えた。自分の目で見たい。そのことが今回の山行に参加した一番の理由である。21日朝、待ち合わせ場所にはすでにバスが待っている。初めて助手席に座る。違う風景が目の前に広がる。12時頃、名頃の駐車場から登り始める。16.5kgのザックは重い。水3.5L(共用2.5L)、一眼レフ1.7kgも入っている。しかし最終的には22日の1428分に剣山山頂に到達し、無事それぞれ帰宅できた。今回の山行で思ったことを以下並べてみたい。

1.今回の縦走について

22日三嶺避難小屋から剣山リフトまで18km超を縦走する。ほとんど土砂降りの中である。三嶺避難小屋を4時前に出発して剣山山頂に1428分に到着した。その後、リフトまでダラダラと下りていった。

21日は白髪避難小屋に泊まる予定であった。が雨のために三嶺避難小屋に泊まる。これが結果的には大正解であった。白髪避難小屋には東京から来た先客がいた。また三嶺から白髪避難小屋まで雨の中、2時間半の工程は疲れた体には危険であったと思う。

白髪避難小屋から丸石にむかう途中、大普賢の七曜岳巡りの「薩摩転がし」にも負けない難所を下る。夏山トレーニングになるとの意見が聞かれた。

時間はかかったが行きたいところ(三嶺、次郎笈、剣山)にはすべて行った。

2.着替えについて

アンダーシャツが不足した。それ以外は問題なかった。ただ真の山人は基本的には着替えを持たないものらしい。

3.ザックの重さについて

ザックは自分がもてる重さではなく、人のも持てる重さにすべき(自分のは軽く)とか聞いた。

4.足つりについて

       2日目の中間地点で左足太股に足つりが起きた。大股で岩場を登ろうとしたときのことである。

自分でマッサージするが容易にはもとに戻らない。足を蹴ったりもした。あきらめて吊ったまま

歩き出したらいつのまにか直った。山行後、3日間両太股に筋肉痛が残ったが左は軽い。

5.鳥が鳴くと雨があがる?

  そういう話しを聞いたことがある。何度も鳥が鳴き、何度も雨があがった。でも何度も再び雨が

降った。本当のところは「鳥は雨が上がったときに鳴く」ではないだろうか?

6.車内用ズック

     今回も持っていった。中まで濡れた登山靴から履き替えられて快適であった。が快適さを求める

     のは登山の目的と根本的にずれているようにも思える。

 

エピローグ

  今回も感想文を書きますと自分から名乗りでた。でも思うように書けない。ひょっとしてかんなび原稿締め切りまでに誰か出してくるかもしれないと心配はしていた。残念ながらその心配は的中した。大谷さんである。今回の山行にかけた思いの違いを知らされた。今回の山行は歴史(自分の)に残るものであった。残念ながら剣山からみる次郎笈は全く見えなかったがそれに代わるものが心と体に残った。大谷さんありがとう。山口CL,佐坂SLにもお礼を申し上げます。